top of page

留学エージェントにサポート手数料10万円を支払ってはみたものの…

ワーホリ

エージェントで加入した現地サポートへの誤解

ホストファミリーに自己紹介をした翌日、

さっそくホストファーザーがバスの乗り方

フェリーの乗り方

駅から学校までの行き方を教えてくれました。


一緒に徒歩・バス・フェリーでですよ、学校入り口まで!


翌日学校へたどり着くまで、

思いっきりボディランゲージや

紙に書いて伝えながらようやくチケットを買うようなやり方の繰り返し。


親切な人もいれば、

おまえ何ていってるのかわからないからバイバイ!

的なことを言われ終わってしまうことも。


そして、3日目の帰り道にさっそく迷子…


僕は今、

スマホもWifiもない、

英語しか通じない、

完全な住宅地のど真ん中にいます・・・


フェリー乗り場から、

間違ったバスに乗ってしまった。

電話の通じない状態で

知らない停留所まで乗って迷子、

しかも大雨


寂しさ加減に圧しつぶされかけて

疲れがどっと出ては大きくため息…

独り言をつぶやいたりしました…


ほんと、誰も頼る人がいない!


ホストファミリーが

生活ルール・学校の行き方・公共交通機関の使い方など

超丁寧に教えてくれたのに、実際は全然わかってない。


わかってないのに、なんでもかんでもYes!!っていっちゃった自分が悪い


結局

停留所のバス運転手は助けようとしてくれたものの言葉が通じないので、

フェリー乗り場まで戻るバスとタクシーを使いなんとか帰宅です。


もしもホストファミリーの住所メモがなかったら、

あの日はどうやって帰ったんでしょう・・・


ホストファミリー夫婦は初日から我が子のように接してくれ、

迷子で大雨の夜も帰ると同時にとても喜んで招き入れてくれました。


はじめはWifiエリアだけの使用で十分だろうと思っていた電話ですが、

やっぱり現地Simを使える端末を買わないとやっていけないことに気づきます。

この当時、日本にはSimフリースマホがありませんでした


それを探して買うのも一苦労・・・


利用した留学エージェントの現地サポートオプションで10万円以上を払ったし、

現地オフィスにいっていろいろ聞いてみようと思い訪問しました。


とはいえ、

教えてくれたのは有名ブランドのスマホショップの場所だけで、

あとは自分でいろいろ調べて頑張ってくれよという感じ。


あのときの自分にしてみたら、

日本語で専門スタッフに相談ができるというだけでも

オプション入会してよかったと思えましたが、

いわゆるその相談席料というようなもので

それ以上に何をやってもらえるというわけではありませんでした。


今でも覚えています、 その時に言われたんですね、、

日本人スタッフ 留学エージェント

「わたしたちはOKIさんよりは少しは経験があることは確かですが、それは本当にほんの少しです。

英語の勉強方法も然り、

ここはすべてを教えて差し上げるというためのサポート窓口ではないんです。

あくまで安全のためのアドバイスと緊急時のサポートが中心ですね。

それ以外は、OKIさんご自身がチャレンジしながら切り開いていただくことが本当の留学の意義であり素晴らしい経験値になります。

それを私たちが教えてしまうことほど、OKIさんの留学の意義を崩してしまうことになりかねません。

みなさん最初は大変でもきちんと解決されてらっしゃいますよ!

大丈夫です!ほら、がんばって!!」


僕は、

留学エージェントの現地サポートを、

旅行会社の商品かなにかと同じように捉えていたところがありました。


確か隣にいる方は

セカンドワーキングホリデーの

ビザ切り替えの相談をしてた。


すごいなー、

自分恥ずかしー、、

などと思いながらスタッフさんに挨拶をして退出。


さっそく教えてもらったケータイ屋さんに行って

ボディランゲージとメモを使い、

店員さんの説明もほぼわからないままではあるものの時間かけてなんとか購入!


良い意味で、

それから1年間

一度も現地サポートに訪問することはありませんでした

お金払ったけど・・・悲


それでも過ぎる街並みや人々をみて、

もっと知りたい、

コミュニケーションしたいと思えたんです


日本に帰りたいとか、

ホームシックだとかそういうものがうまれない。


それは、

続く空の向こう側に

見たことのない世界空間(オーストラリアという世界)が

本当に存在していた実感から


これは、

すべて用意されているような旅行では味わえない。


辛くてもポジティヴになれる、

なかなか味わうことができないチャレンジの上に

立っている気持ちがしたのです




本日も読んでくださりありがとうございました!




OKIのメッセージサイトはコチラ↓

マレーシア留学

応援フォロー&シェアよろしくお願いします👍

OKI DOKI RAISE on X
OKI DOKI RAISE on Instagram
OKI DOKI RAISE on FB




語学留学
英語ブログ
にほんブログ村

← クリックにご協力ください☆

 
 

留学エージェント訪問と初海外デビュー

“留学エージェントのカウンセリングに行ってみた”

留学エージェントの闇

初めは何もわからないので、

自分のよさそうだと思った

留学エージェントへカウンセリングへ行き、

自分の状況・希望に合わせておすすめプランをアドバイスしてもらいます。


そのエージェントさんは

オーストラリアをメインに取り扱う大手エージェントで、

シドニーのワーキングホリデーを勧められました。


英語ネィティヴスピーカーの国オーストラリア、シドニー

え、なんか

オーストラリアは訛り(なまり)があるとか

ネットに書いてあったな・・

訛り・・

大丈夫か??

なんか嫌だな、

訛ってる英語勉強するとか・・・


だいたい、

訛りって、何・・・?

あと、

ビザって・・・??

パスポートのこと???

もう、

何もわからなかったです。 今思えば、

あのエージェントさんは自分の細かな疑問に

よくもあんなに丁寧親切に答えてくれたものだと

感謝の気持ちがよみがえってきます。


オーストラリアで英語を勉強しよう!

それだけを胸に、着々と留学の準備を始めました。


英語の先で何をするかもいろいろ考えましたが、

まずは渡航して英語を話せるようになってみたい!


まずはそこからかなと。。


このとき僕が思い描いていた「留学」とは、

英語や海外高等教育や海外就職などのためにするもの

というごく一般的なイメージでした。


紙に書けるスキルじゃなきゃ意味がないと思いました。



離陸

初めての国際線も緊張しましたよ。

出発の2時間前に空港到着どころか、4時間前にすでに出発ロビーに座ってました (笑) オーストラリアに到着し最初に驚いたのは、

シドニー国際空港の移民局カウンターの職員たちの姿です。


腕から首までタトゥ刺青がビッシリ入った職員が普通に働いているのです。


あんなタトゥーが入ってるのに

仕事で怒られないのか!?」とか

ここ、空港の税関だぞ??」とか

本気で不思議がってしまったものです。 周りにいるオーストラリア人たちが話してる言葉は、

どんなに耳を傾けても何をいってるか全くわかりません・・・



んー、

これは英語だ!

ということはわかった!



到着ゲートで待っていてくれた

日本人スタッフさんにひとまず安心し、

ホストファミリーのもとへ向かう車内で

新鮮な景色を見ながらいろいろなことをきいてみました。


そしていよいよホストファミリーの家前に到着をするのですが、

日本人スタッフさんは

ホストファミリー夫婦とペラペラ軽く挨拶をし

すぐさま車に乗り込み行ってしまいました。



「ではではOKIさん、僕はここまでです。

お元気でがんばってくださいね!」

 


ブ ー ー ー ー ン 🚎🚎🚎



(行っちゃった・・・)

「え?そんなもんなのー??」

(↑なにを期待して・・・??笑)


そこからは、

あたたかな笑顔で迎えてくれたホストファミリーに

「Nice to meet you」

「Thank you」 しか返せない自分。


ここから、自分のちょっぴり波乱な留学生活がはじまっていきます!!!



本日も読んでくださりありがとうございました!




OKIのメッセージサイトはコチラ↓

マレーシア留学

応援フォロー&シェアよろしくお願いします👍

OKI DOKI RAISE on X
OKI DOKI RAISE on Instagram
OKI DOKI RAISE on FB




語学留学
ライフスタイルブログ
にほんブログ村

← クリックにご協力ください☆


 
 

「ちょっと深刻」僕の初海外留学とそのキッカケ ~3.11大災害で体験したこと~


海外留学


3.11 日本を襲った大災害がもたらしたもの

2011年3月11日の夜勤明け

(とはいっても、帰路は午後2時過ぎ)


自宅は東京のニュータウン。


家までもうすぐというとき、

数百メートル先の信号が赤にかわり

運転するクルマのブレーキを踏みながら

速度を落としているときでした。(鮮明に憶えています)

クルマが左右にぐわんぐわんと揺れるのです。

前方のクルマもハザードをたき、

みんな交差点に達する前に停止、

それでもまだ揺れています。

すぐに地震だとわかりましたが、

ここまでの揺れは体験したことがありません。

車内で流れていたFMラジオのDJも

慌てて緊急放送に切り替え、

東北地方の大地震だとアナウンスをはじめました。


東日本大震災 石川県能登半島沖地震
3.11

自宅に戻りテレビをつけたそのときが、

僕の精神を狂わせた瞬間でした。

ニュースキャスターの

いつもとは違うトーンと同時に、 津波が街をのみこんでいく光景、 道路を走る車が逃げ道を塞がれ前進後進を繰り返す、 家屋の屋上から人が助けを求めている、 助けることができずに水かさが一気に増えて

波がそれらをかぶり消した、 その瞬間、

僕の心臓と呼吸が何度も止まりかけるようなパニックが起きました。 同じような経験をされた人は多いのではないでしょうか。


翌週からの街、

東京も多くの場面で混乱が続いていきました

物流の会社の業務も大混乱が起き、

特に問題となったのは燃料の確保。


非常用貯蓄分では追いつかず給油所へ並ぶのですが、

そこに並ぶ人たちそれぞれの温度差にも強い違和感を覚えました。 仕事が急遽休みになり

レジャーに向かう途中の人、

そのはしゃぎ声、

必死のガソリンスタンドスタッフの協力要請を

聞こえないふりをし無視する人、

その一方で険しい表情でじっと列に並び続ける人・・・

東日本大震災
引用元:大盛上等2!(マンボウ 様)

日々状況が

人生では感じたことのない

イレギュラーな日々が毎日、毎日、と続き、

ある連休に南相馬という街で募集をしていた

倒壊家屋の清掃ボランティアに行く機会もありました。 高速道路の亀裂、

タイヤのパンクを警告する電光掲示板、

自衛隊装甲車、

物騒なバリケード、、、

現地に行くと、

地震だけの被害と

地震津波両方の被害を

受けた地域の差がとても大きい。


割り振られた各倒壊家屋へ向かうバスの中から

おびただしい葬儀の数を目にしたこと、

現地の方の話をきいたこと、

悲しみ、

恐怖、

寒さ、

憤り、、

情報の混乱、

温度差、、


それでも現地のかたから

お弁当屋ペットボトルの水をいただき、

固く握手をしてくださり、

人助けをしに来たはずが

こちら側が奉仕されているような気持ちにもなり、、、


その後東京へ戻ると


物事や情報の温度差が激しく、

脳がいつも通りに物ごとを整理できなくなりました。


連日入ってくる関連ニュースと脳裏でごちゃ混ぜになり、

ついにとうとう僕は精神的な限界を通り越してしまいます。

「人生」「命」のこと、「自分の存在する理由」…


この津波震災をきっかけにパンク状態となり、

専門家に受診が必要なほどの精神鬱を患ってしまったのです。


そして

とうとう仕事を続けることが難しくなり、

会社や上司の理解もあり退職することになってしまいました。


イフェクサー

アルバイトなどをしながらしばらく療養後、

受診していた医師から突然のアドバイスがありました。








一度海外に行ってみてはどうか?









精神的に一旦リセットするのに良いということで、

海外留学をすすめられたのです ...


本日も読んでくださりありがとうございました!




OKIのメッセージサイトはコチラ↓

マレーシア留学

応援フォロー&シェアよろしくお願いします👍

OKI DOKI RAISE on X
OKI DOKI RAISE on Instagram
OKI DOKI RAISE on Facebook




ライフスタイルブログ
語学留学
にほんブログ村

← クリックにご協力ください☆

 
 

​英語- 将来やりたいこと - 英語 - 就職 - あなたの一歩を応援 - ボーダーレス社会

bottom of page